最高裁判所第一小法廷 平成7年(オ)160号 判決 1999年4月22日
上告人
塩尻章三
外一名
右両名訴訟代理人弁護士
山下一盛
被上告人
日地良雄
右訴訟代理人弁護士
水谷賢
被上告人
黒住牧子
右訴訟代理人弁護士
陶浪保夫
右訴訟復代理人弁護士
西野淑子
主文
被上告人日地良雄の反訴請求に関する部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
被上告人日地良雄の反訴請求を棄却する。
上告人らのその余の上告を棄却する。
前項の部分に関する上告費用は上告人らの負担とし、その余の部分に関する訴訟の総費用は被上告人日地良雄の負担とする。
理由
上告代理人山下一盛の上告理由第一及び第二について
本件のうち上告人らの本訴請求は、上告人らの子である塩尻明久と被上告人日地良雄が乗車した自動二輪車(以下「本件自動二輪車」という。)が被上告人黒住牧子運転の普通乗用自動車と衝突し、明久が死亡した交通事故(以下「本件事故」という。)について、上告人らが本件自動二輪車の運転者は被上告人日地であったとして、被上告人ら両名に対し、自動車損害賠償保障法三条に基づく損害賠償を求めるものである。本件事故当時、本件自動二輪車を運転していたのは明久であったとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。そうすると、上告人らの被上告人らに対する本訴請求は理由がないとした原判決の判断は正当であって、上告人らの本件上告のうち本訴請求に係る部分は理由がない。
同第三について
一 本件のうち被上告人日地の反訴請求は、上告人らの本訴提起は、本件自動二輪車の運転者が明久であったことを容易に知り得べき事情があったのに、単に同被上告人に対して損害を与えることを目的としてしたものであるとして、上告人らに対し不法行為に基づく損害賠償を求めるものである。
二 原審は、前記のとおり本件自動二輪車の運転者は明久であったと認定した上、上告人らは、専ら被上告人日地に損害を与えることのみを目的として本訴を提起したとまでは認められないものの、本件自動二輪車の運転者が被上告人日地であったと特段の根拠もなく思い込み、被害感情に駆られ、本件事故の捜査を担当した警察署が運転者は明久であったと認定し、事件送致を受けた検察庁においても早晩同じ判断がされることを十分予想し得たにもかかわらず、これを覆すに足りる的確な証拠を持たず勝訴の見通しもないまま、被上告人日地に対して本件提訴をしたものであるから、本訴の提起は裁判を受ける権利の正当な行使とはいえず不法行為に当たると判断して、被上告人日地の反訴請求を認容すべきものとした。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 法的紛争の当事者が紛争の解決を求めて訴えを提起することは、原則として正当な行為であり、訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易そのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である(最高裁昭和六〇年(オ)第一二二号同六三年一月二六日第三小法廷判決・民集四二巻一号一頁参照)。
2 これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実関係によれば、本件事故当時、明久は青色ヘルメットとえんじ色で白色縦線が入ったズボンを、被上告人日地は白色ヘルメットと紺色ズボンをそれぞれ着用していたところ、現場付近に居合わせて事故直前の本件自動二輪車を目撃した井上美紀は、事情聴取をした警察官及び上告人章三それぞれに対し、本件自動二輪車の運転者のヘルメットは白色で後部座席の同乗者のズボンは赤っぽい色に白色縦線が入っていた旨を明確に述べ、原審においても同様の供述をしており、また、同じく現場付近に居合わせた三宅百合恵も、警察官に対し、これに沿う供述をしているというのであるから、本件自動二輪車の運転者は被上告人日地であるとの上告人らの主張には、これを裏付ける証拠が皆無であったとはいえない。したがって、上告人らが特段の根拠もないまま被上告人日地が運転者であったと思い込んだということはできない。まして、本件事故によって明久のみが死亡し、同人の供述は全く得られないのであるから、事故当時、現場におらず、事故状況を知り得なかった上告人らが、被上告人日地や当時一緒に行動していた友人らの供述を容易に信用せず、前記の証拠をもって捜査機関の認定と異なる認定を前提に本訴を提起するに至ったことには無理からぬものがある。殊に本件は、事故現場の状況、本件自動二輪車の損傷状況、明久及び被上告人日地の負傷の状態などの客観的証拠から運転者を特定することが必ずしも容易ではない事案というべきであり、現に、本件においては、第一審、原審において合計三回の鑑定が行われているところ、その鑑定結果の中には上告人らの主張に沿うものも存在するのである。
以上によれば、本件において、上告人らが、捜査機関が運転者を明久と認定したことを知っていたからといって、被上告人日地に対する損害賠償請求権を有しないことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて本訴を提起したとは認められないから、上告人らの本訴提起は、いまだ裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとはいえず、被上告人日地に対する違法な行為とはいえないというべきである。
四 そうすると、右とは異なり、上告人らの本訴提起が不法行為に当たるとして被上告人日地の反訴請求を認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決中、被上告人日地の反訴請求に関する部分は、破棄を免れない。そして、右に説示したところによれば、被上告人日地の反訴請求は理由がないから、これを棄却すべきであり、第一審判決中、反訴請求に関する部分を取り消し、被上告人日地の反訴請求を棄却することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大出峻郎 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)